クラウディオ・キアプッチ「毎回優勝を目指して出場していた重要なレース」 - ジャパンカップレジェンド vol.2

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ジャパンカップレジェンド第2回は、1993〜1995年にかけてジャパンカップ3連覇を達成したクラウディオ・キアプッチ氏。ツールやジロの山岳王として名を馳せ、その積極果敢な走りから『エル・ディアブロ(悪魔)』の愛称でも親しまれました。24回大会終了時点で、ジャパンカップ3勝はセルジョ・バルベーロと並ぶ最多記録、3連覇はキアプッチ氏しか達成していません。

「毎回優勝を目指して出場していた重要なレース」

クラウディオ・キアプッチ(Claudio CHIAPPUCCI)
イタリア/1993〜1995年 第2〜4回ジャパンカップ優勝者

カレラ時代に駆ったバイクとクラウディオ・キアプッチ氏。ジオメトリーにこだわり、新しい機材や素材も熱心に取り入れたカレラ時代に駆ったバイクとクラウディオ・キアプッチ氏。ジオメトリーにこだわり、新しい機材や素材も熱心に取り入れた photo:So.Isobe
こんにちは。クラウディオ・キアプッチです。過去に3連覇という思い出深いレース、ジャパンカップが25周年を迎えることを嬉しく思っています。ヨーロッパでは長い歴史がありながらも消滅してしまうレースがある中、決してロードレース大国ではないジャパンカップが25年続いた意味は大きいはずですから。

初出場した93年大会には、チーム監督であり、カレラのオーナーでもあるダヴィデ(ボイファーヴァ)の指示を受けての出場でした。前年にカレラチームが参戦した時は最高位でも10位と惨敗だったので、シーズン最後のレースということもあり勝利が求められていたのです。

結果的に中盤に登りで抜け出し、最後は独走に。翌年は世界選手権を制したばかりのリュック・ルブランが出場しましたが、ここでも独走勝利。95年にはマウロ・ジャネッティとステファノ・ザニーニのゴール勝負で優勝できました。特にスプリンターのザニーニに競り勝てたことは自分でもかなり驚きました。私の登りアタックで消耗していたことも大きかったのでしょう。私は新しいもの好きで機材にうるさかったので、95年の時にはハンドルにDHバーを装備していたことも思い出しました。懐かしい記憶ですね。

1993〜1995年にかけてジャパンカップを3連覇したクラウディオ・キアプッチ(イタリア、カレラジーンズ)1993〜1995年にかけてジャパンカップを3連覇したクラウディオ・キアプッチ(イタリア、カレラジーンズ) (c)下野新聞社
そして、それらの勝利は一つとして同じものはなく、一つ一つに良い思い出が沢山あります。毎回優勝を目指して出場していた重要なレースであり、本当に多くの観客の熱い声援にも驚きました。

ずっとジャパンカップにはトップチームが参加していますし、特に最近の盛り上がりや規模の拡大など、私の頃とは比べものにならないくらい成長していると聞きます。先ほども言った通り、思い出深いレースだけに嬉しく思いますし、こうして取り上げてもらえることにも感謝しています。また日本のファンの前で走れる機会があれば良いですね。